箱根駅伝の由来や起源は?なぜ箱根?予選会として開かれたって本当?

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箱根駅伝の由来や起源は?なぜ箱根?予選会として開かれたって本当?

すっかり日本のお正月の風物詩となった箱根駅伝。

ただ、私達は意外と箱根駅伝の由来や起源をしりません。

どんな歴史で箱根駅伝は発祥したのか?

なぜ箱根で駅伝するのかよくわかりません。

そんな箱根駅伝の由来や起源を紹介していきます。

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箱根駅伝の起源は3人の若者から

1920年に初開催された箱根駅伝は3人の若者の熱い思いで実現したと言われています。

箱根駅伝自体はその3人の若者が構想した大会の予選大会としての意味合いがあったようです。

「えっ、あの箱根駅伝が予選大会?」と思われたかもしれませんね。

でも、そうなんです。

さて、少しずつ箱根駅伝発祥の歴史を解説していきますね。

 

その箱根駅伝を構想した3人の若者は、

  • 金栗四三さん(ストックホルムオリンピックマラソン代表、後にマラソンの父と呼ばれる)
  • 沢田英一さん(明治大学に在籍し札幌~東京間を22日かけて走破)
  • 野口源三郎さん(後にアントワープオリンピック主将になる)

の3人です。

この3人から、箱根駅伝の発想が生まれました。

3人は小学校の運動会の審判員として招かれ、その時の3人の何気ない会話から、箱根駅伝の構想になっていきました。

箱根駅伝はなぜ箱根?

箱根駅伝の由来は?なぜ箱根?

金栗さんは1912年のストックホルムオリンピックで途中棄権し、世界との差を痛感しており、「世界で通用するマラソンランナーを育てたい」という思いも持っていました。

3人との会話で金栗さんは、「世界で勝負できるランナーを多く育てるには駅伝が良いのでは?」と主張されたようで、そこから駅伝の構想になっていったと言われています。

日本初の駅伝が1917年(箱根駅伝初開催の3年前)に東海道駅伝徒歩競争に開かれ成功したことも大きかったようです。この駅伝に、金栗さんもアンカーとして出走していました。

(ちなみにこの東海道駅伝徒歩競争は京都~東京間を23区間500キロ超を3日間昼夜を通して走破したそうです。はじめての駅伝大会とは言え、すごい壮絶な大会です。)

その3人の話でアメリカ横断長距離駅伝を行なうという話になりました。

なぜアメリカでというと、沢田さんは札幌~東京、金栗さんは下関~東京間を走破しており、日本は走りつくしたという思いがあったようです。

この当時の若者たちはすごい発想をしますねぇ(笑)

 

その後3人は各所に説明し、アメリカ横断駅伝レース自体の発想は驚かれましたが、当時の報知新聞が資金調達もしてくれるようになりました。

そこで、アメリカ横断レースの予選会の開催を計画しました。

アメリカを横断するには、過酷な自然状況が想定されます。

東京~水戸間なども予選大会の候補として話し合われたようですが、「平坦すぎる!」と却下されたようです。

アメリカのロッキー山脈を想定していたみたいなので、確かに平坦すぎるかもしれませんね。

また、平坦ではない東京~日光間も候補としてあがりましたが、交通の利便性が悪いという理由で却下されたようです。

 

そこで、平坦でもなく交通の利便性も良い東京~箱根間が選ばれました。

箱根の山は天下の嶮(てんかのけん:嶮はけわしいという意味)なんて呼ばれますが、ロッキー山脈などアメリカの過酷な自然状況を想定して箱根は選ばれたんです。

確かに箱根の山を走って登るのは勇壮で厳しく、アメリカ横断駅伝の予選としてふさわしいかもしれませんね。

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箱根駅伝の初回!祝開催!

そうして、

1920年(大正9年)2月14日(土曜日)にアメリカ横断駅伝の予選として、箱根駅伝は開催されました。

尽力をつくした金栗さんが審判長として号砲を鳴らして、箱根駅伝はスタートしました。

学生の本分は勉強にあるということで、土曜の授業が終わった午後1時からスタートとなりました。

当時は学生の数も少なく、20キロの距離を走る学生を10人集めることが難しく、早稲田大学、慶応大学、明治大学、東京高等師範学校(筑波大学の前身)の4校で争われました。

午後からのスタートだったので、往路最後の5区は真っ暗だったようです。

地元の長距離ランナーがたいまつを照らしながら協力してくれました。往路のゴールは花火で知らせたなんて逸話も伝わっています。

往路の優勝は明治大学で、箱根駅伝の発起人の一人、沢田英一さんが往路のゴールテープを切っています。

そして、往路復路含めての総合優勝は東京師範高等学校が優勝しました。

なんと2位の明治大学との差が25秒だったとか。

しかも、往路が終わった時点で8分27秒の差がつけられていたのを逆転した大逆転劇でした。

これは盛り上がったでしょうねぇ。私もすっごい見てみたいですもん(笑)

 

ちなみに、この箱根駅伝は、当時の箱根は冬は寒く観光客が少なくなるため、客を呼び込む意味合いもあったようです。

まあ、箱根と言う地方で開催される大会なので、箱根の地方振興の意味合いは当たり前のことです。

今でも地方振興にと、全国各地で様々なイベントが開かれていますよね。

 

結局、アメリカ横断駅伝の構想は実現しませんでしたが、箱根駅伝は今も続いています。

日本という自国ではなく他の国、アメリカです。そりゃあ、実現難しいですよね。

アメリカ横断駅伝の予選として産声をあげた箱根駅伝。

箱根駅伝をテレビで見ることは、今や正月恒例の国民的行事になっていますが、箱根駅伝には、こんな歴史があったんですね。

 

最後に

箱根駅伝の由来や起源を紹介しました。

3人の若者がアメリカ横断長距離駅伝を構想して、その予選会が箱根駅伝となりました。

箱根を選ばれた理由は、アメリカのロッキー山脈を想定してとのことでした。

今も様々なドラマを見せてくれる箱根駅伝なんですが、由来や起源も壮大なドラマになってました。

今日の記事が箱根駅伝を見る時の楽しみに貢献してくれたら幸いです。

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