3月14日はホワイトデーです。
ホワイトデーってバレンタインデーのお返しをする日ですよね。
でも、このホワイトデーって、そもそもなぜこんなお返しするようになったのでしょう?
また、ホワイトデーってどこの国からやってきた習慣なんでしょう?
どこかで海外ではあまりこんな習慣がないと聞いたことあるような・・・。
バレンタインにチョコのお礼のために、わざわざそんな日を設ける必要あったのでしょうか?
返したい人は好きなタイミングで返したら良いような・・・。
そんなホワイトデーの由来や歴史、どの国が起源などの謎について解説していきますね。
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目次
ホワイトデーの由来ってどこの国が起源なの?海外でもあるの?
ホワイトデーの由来は、バレンタインデーの由来にも関係します。
詳しくはこちらをなんですが、
バレンタインデーの2月14日はイタリアのバレンタイン司祭が処刑された日です。
バレンタイン司祭が生きていた当時は結婚禁止令が出ていました。
司祭が若者をかわいそうに思い、密かに結婚をさせていて、それが原因で処刑されてしまったんです。
バレンタイン司祭に救われたカップルが永遠の愛を誓ったのが、バレンタイン司祭が処刑された1か月後の3月14日だったそうです。
そして、3月14日も恋人たちにとって大事な日なったということです。
ただ、本当のところは、どうもホワイトデーは日本が発祥のようなんです。
実際、ホワイトデーの習慣は欧米で見られていません。
上のような、1か月後にバレンタイン司祭に感謝してみたいな美しい美談も、実際あったのかもしれませんが、ホワイトデーという文化は欧米では存在しないようです。
だから、欧米の方からしたら、ホワイトデーの名前すら、何それって感じです。
日本の影響を受けたと思われる東アジアの一部(韓国、中国、台湾など)では定着しているそうですが、欧米ではバレンタインデーに男女お互いがプレゼントを贈りあうのが一般的です。
また、欧米ではバレンタインデーにチョコレートと決めて贈るのではなく、花やケーキなど様々なプレゼントを贈ります。
そもそも、日本でバレンタインデーにチョコを贈るようになったのは、日本のお菓子メーカーが広めたと言われています。
バレンタインデーでチョコが売れるようになったら、そのお返しとして他のお菓子もみたいに考えるのも当然の発想ですよね。
そんなお菓子メーカーの戦略で、日本のホワイトデーの文化が形づくれたようです。
日本人は何かをもらったら、お返しをしなければいけないと思う文化があります。
お中元やお歳暮をもらったら、「お返ししなければ。」と普通に思います。
ホワイトデーは、そんな日本人の心理をついた巧みな戦略とも言えるかもしれませんね。
ホワイトデーの歴史は日本から!名前の由来も解説!
ホワイトデーが日本で作られた文化であることはお伝えしました。
さて、そこで、そもそものホワイトデーの起源はどこなんでしょう。
どんな風な歴史で広まっていったのでしょうか。
ホワイトデーの起源は3つの説が有力です。
- 不二家・エイワ説
- 石村萬盛堂説
- 全国飴菓子工業協同組合説
の3つです。
それらを1つ1つ解説していきますね。
1.不二家・エイワ説
日本でバレンタインデーが定着していったの見て、お菓子会社の不二家とエイワ(マシュマロで有名)が協力して、3月14日にマシュマロを贈ろうというキャンペーンで定めたという説です。
1973年に不二家とエイワが協力し、「メルシーバレンタイン」キャンペーン開催したそうです。
この不二家・エイワ説が、3つの説の中では一番古いようです。
2.石村萬盛堂説。
次は福岡市の老舗菓子屋の石村萬盛堂が定めたという説です。
石村萬盛堂は少女雑誌の「バレンタインデーのお返しにマシュマロを返してほしい」という記載に触発されたようです。
バレンタインデーのお返しに、ピーンときたってことでしょうね。
もともと、石村萬盛堂は『鶴乃子』という黄身餡をマシュマロ生地で包んだお菓子を販売していました。
そして、石村萬盛堂は福岡の百貨店岩田屋と相談して、3月14日をバレンタインのお返しする日のマシュマロデーとして1978年からキャンペーンが開始されました。
「バレンタインデーに君からもらったチョコレートを僕の優しさで包んでお返しする」というコンセプトで、チョコを包んだマシュマロ菓子を売り出したそうですよ。
なかなかカッコいいキャンペーンですね。
ちなみに、マシュマロデーの候補日は3月14日のほかに、バレンタインデーの日付をひっくり返した4月12日、1週間後の2月21日も候補日としてあったそうです。
4月12日はバレンタインデーから日が開きすぎるからボツ、2月21日はバレンタインから1週間後はお菓子屋として忙しすぎて対応ができるかわからないからと却下されたそうです。
3.全国飴菓子工業協同組合説
最後に、全国飴菓子工業協同組合が考案したという説を紹介します。
バレンタインのお返しに飴を贈ろうと、1978年に全国飴菓子協同組合で話し合いがされました。
そんな話し合いを経て、2年間の準備期間を経て、1980年3月14日からホワイトデーはスタートしたと言われています。
この3月14日に定めたのは、最初にお伝えした、
バレンタイン司祭が亡くなって一か月後に愛を誓い合ったからという説、
古事記および日本書紀の中に初めて飴が製造されたのが3月14日ごろだったと記載があるからとの説、
の両方あります。
ただ、私個人の感想では、古事記、日本書紀の中で日本古来の飴が製造されたとしても、バレンタインデーとは関係なさすぎに思います。
3月14日を飴の日として定めるのでしたら、わかるのですが・・・。
まあ、理由は多い方が説得力があるということでしょうね。
また、なぜ、『ホワイト』デーにしたかというと、ホワイトは純潔のシンボルで、若者にピッタリということでホワイトが選ばれたそうです。
他の説として、飴の原料の砂糖が白色だったとかいう説もあったり、
もう一つ他の説として、英和辞典で、ホワイトを引くとシュガーやスイートの表記が出てきて、さらにシュガーを引くとキャンデーになり、ホワイトとキャンディーがつながったからという説もあります。
上のように様々な説が伝わっているということは、本当に真剣に話し合ったということなんでしょうね。
ホワイトデーで飴を売るぞ!という気概が感じられ、好感を持てますね(笑)
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ホワイトデーの由来や歴史を分かりやすく解説すると・・・
3つの説があって、実際、本当の起源はどれなんでしょうね。
一番古いのは1973年の不二家・エイワ説なので、これがホワイトデーの元祖なのかもしれません。
ただ、当時はバレンタインデーの成功から、様々なお菓子メーカーが、バレンタインデーのお返しにいろんなお菓子を返そうとキャンペーンをしていたようです。
お菓子メーカーの各々のキャンペーンで徐々に浸透していったものを、1980年から飴菓子工業協同組合が定めて大々的なキャンペーンをやって、大きく広まっていったと考えても良いように思います。
なんでも、1980年の飴菓子工業協同組合のキャンペーンの時には、当日は銀座の三越で大きなキャンペーンを行ったり、それまでにもラジオでのキャンペーンや、ホワイトデー前のプレキャンペーンを行ったりしたようですよ。
当時の全国飴菓子工業協同組合の方が、地下鉄内でホワイトデーの会話をわざと大きな声で話したりと、地道なキャンペーンも行われたようです(笑)
今まで個々のお菓子メーカーで各々でやっていたことを、共同でやろうとすることは大きかったと思います。
当時はインターネットもない時代です。
今や日本全国に共通の文化を届けてくれるコンビニも、全国展開しているチェーンがどれほどあったか・・・。
個々のお菓子メーカーがキャンペーンをやっても、また地方で頑張っても、全国的に広まりにくかったことは推測されます。
その当時に、何かを広めて拡散するためには、業界団体で取りまとめて、一致団結して展開していくことも大切な時代だったと思いますよ。
最後に~ホワイトデーの由来をみていくと~
ホワイトデーの由来や歴史を解説しました。
バレンタインデーのチョコと同じように、ホワイトデーの文化も日本のお菓子メーカーが定着させたようです。
お菓子メーカーが作った文化かもしれませんが、お互いの感謝のしるしに何かをあげあうことことは悪い文化ではないとは思います。
お菓子なので、そんなに高額のものでもないですしね。
ちょっと面倒くさいのが、難点ですけどね(笑)
作られたものかもしれませんが、せっかくあるホワイトデーの習慣です。楽しんでいきましょうね。
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