絶望の中の肯定感!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る
絶望の中の肯定感

今この世の中を生きている僕らに大事なものって何だろう?

今の世の中って、よく成熟した社会って呼ばれています。

ここのところ、景気が良いって言われてはいるんだけど、高度経済成長期やバブルの時みたいな、イケイケ感はない感じです。

そもそも、それらの話を上の世代から聞いたり映画で見たりするだけで、実際のところは、どんなイケイケ感だったか、よくわからないけど・・・。

 

成熟した社会

今の世の中って成熟した社会だから、あきらかに社会がドンドン変わっていく感じはないのだろう。

僕らの生きているところじゃない、成熟しきっていない場所では、イケイケドンドンで変わっていっているらしいって聞く。

だから僕らも、もっと危機感を持て!みたいなことを言う人もいる。

 

最近はあまり言わなくなったけど、「人口減の社会だから、もうこれ以上の成長は無理だ」なんて意見もよくあった。

景気は若者世代の人口の数に左右されるなんてね。

確かにイケイケドンドンな場所は、若者世代が多いみたいだね。

 

ここのところ、僕らの生きているところも、景気が良いなんて言われているけど、成長が実感できないしね。

そういう人口減だからなのかもしれない。

そしてあいかわらず僕らの社会って、今さらやめれないから、やめれないことを続けている社会だ。

急に社会が変わりすぎると、大変な人達もでてくるとは思うけどね・・・。

 

でも、僕らの社会って成熟しているから、インフラも整ってるし、食べるものもゼイタクしなければ困っていない人も多い。

素晴らしい社会でもある

ありがとう、上の世代の皆さん!って感じだけど。

 

しかし、

僕らの社会って、そこはかとない絶望感があったりもする社会だ。

インフラなどは恵まれているけど、未来のことを考えると、キラキラした希望を見出せなかったりする社会だ。

 

希望が見出せない社会に

だから、

僕は思う。

今のこの世の中に必要なのは、「絶望の中の肯定感」だって。

そこはかとなく感じる、恐らくやばいであろう未来に、絶望している僕らには大切だ

 

絶望の中の肯定感って、いきなり言ってもわかりにくいかもしれないですね。

例をあげると、

絶望の中の肯定感って、病気で余命宣告を受けている人の肯定感、みたいなものかな。

 

余命宣告を受けた人が肯定的な行動をするとき、僕らは何とも言えない、せつなさを感じます。

例えば、自分が亡くなったあとのことを考えて、愛する人のために人知れず手紙を書いたりすることです。

 

僕らはこの絶望の世の中を生きていくために、その何とも言えない、せつなさ(絶望の中の肯定感)目指せばいいじゃないかと思う。

「せつなさ」って悲しいんだけど、僕らの感情をプラスに動かして行動へ導く、すごい感情だ。

 

絶望の中に肯定感を持つことは、今の僕達の一つの道しるべになる。

その肯定感があれば、僕らは行動できる

そのせつなさがあれば、僕らは大切な人達のために生きていける

 

せつないけど、僕らは生きていくんだ!!!

大切な愛する人のために。

 

最後に

先がない未来になることが前提で語りまくってます。

誰が先がない未来だなんて決めたんだって感じだけどね。

そんな未来を打ち消そうとがんばっている人達もいるけど。

 

でも、その先のない感じは、僕らの頭のなかに結構埋め込まれています。

その埋め込みを取り除くのが、難しいと思ったから、この記事を書きました。

だから、どうすりゃいいんだ?って、中2な文章なのは、わかって書きました(笑)

 

埋め込まれたことをわかった上で、肯定するんだ!って。

大切な人のために生きる道しるべにするんだ!って。

中2な思いも大切なんだ!って。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

 

 

SNSでもご購読できます。

コメント

コメントを残す