絶望の中の肯定感!

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絶望の中の肯定感

今この世の中を生きている私たちに大事なものって何だろう?

今の世の中って、よく成熟した社会って呼ばれています。

ここのところ、景気が良いって言われてはいるんだけど、高度経済成長期やバブルの時みたいな、イケイケ感はない感じです。

そもそも、それらの話を上の世代から聞いたり映画で見たりするだけで、実際のところは、どんなイケイケ感だったか、よくわからないけど・・・。

 

成熟した社会

今の世の中って成熟した社会だから、あきらかに社会がドンドン変わっていく感じはないのだろう。

私たちの生きているところじゃない、成熟しきっていない場所では、イケイケドンドンで変わっていっているらしいって聞く。

だから私たちも、もっと危機感を持て!みたいなことを言う人もいる。

 

最近はあまり言わなくなったけど、「人口減の社会だから、もうこれ以上の成長は無理だ」なんて意見もよくありました。

景気は若者世代の人口の数に左右されるなんて意見です。

確かにイケイケドンドンな国や場所は、若者世代が多いみたいです。

 

ここのところ、私たちの生きているところも、景気が良いなんて言われているけど、成長が実感できないのは、そういう人口減だからなのかもしれない。

そしてあいかわらず私たちの社会って、今さらやめれないから、やめれないことを続けている社会です。

もちろん、急に社会が変わりすぎると、大変な人達もでてくるとは思いますが・・・。

 

でも、私たちの社会って成熟しているから、インフラも整ってるし、食べるものもゼイタクしなければ困っていない人も多いのも事実。

そんな素晴らしい社会でもある

そんな部分をとらえると、「ありがとう、上の世代の皆さん!」って感じにはなります。

 

しかし、同時に私たちの社会って、そこはかとない絶望感があったりもする社会だったりします。

インフラなどは恵まれているけど、未来のことを考えると、キラキラした希望を見出せなかったりする社会

 

希望が見出せない社会に

だから、

私は思います。

今のこの世の中に必要なのは、「絶望の中の肯定感」だって。

そこはかとなく感じる、恐らくやばいであろう未来に、絶望している私たちには「絶望の中の肯定感」が大切だと感じます

 

絶望の中の肯定感って、いきなり言われてもわかりにくいかもしれないですね。

例をあげると、絶望の中の肯定感って、病気で余命宣告を受けている人の肯定感、みたいなものです。

 

余命宣告を受けた人が肯定的な行動をするとき、私たちは何とも言えない、せつなさを感じます。

例えば、自分が亡くなったあとのことを考えて、愛する人のために人知れず手紙を書いたり。

他には自分が亡くなった後のことを考えて、あえて嫌われてみたり(嫌われることで自分に未練をなくしてもらうために)

 

私たちはこの絶望の世の中を生きていくために、その何とも言えない、せつなさ(絶望の中の肯定感)目指せばいいじゃないかと思うんです。

「せつなさ」って悲しいんだけど、私たちの感情をプラスに動かして行動へ導く、すごい感情です。

 

絶望の中に肯定感を持つことは、今の私たちの一つの道しるべになります。

その肯定感があれば、私たちは行動できます

そのせつなさがあれば、私たちは大切な人達のために生きていけます

 

せつないけど、私たちは生きていくんだ!!!

大切な愛する人のために。

 

最後に

先がない未来になることが前提で語りまくってます。

誰が先がない未来だなんて決めたんだって感じですが。

そんな未来を打ち消そうとがんばっている人達もいますしね。

 

でも、その先のない感じは、私たちの頭のなかに結構埋め込まれています。

その埋め込みを取り除くのが、難しいと思ったから、この記事を書きました。

だから、どうすりゃいいんだ?って、中2な文章なのは、わかって書きました(笑)

 

埋め込まれたことをわかった上で、肯定するんだ!って。

大切な人のために生きる道しるべにするんだ!って。

中2な思いも大切なんだ!って。

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