お盆って聞くと何を思い出されますか?
お墓参りや先祖供養。
花火大会や盆踊りを思い出す方もいらっしゃるかも知れませんよね。
本当に様々ですよね。
そんなお盆ってそもそも何なんでしょうか。
そこで、お盆の意味や起源などを解説していきます。
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目次
お盆の意味って?ナスやキュウリを飾るのはなぜ?
お盆ってどういう日なの?
お盆は亡くなられ魂となられたご先祖様がお帰りになる日といえます。
ご先祖様の霊を供養して祈る時期をお盆といいます。
そのお帰りになったご先祖様にお供え物をして、ようこそお帰りになりました。
おかげさまでこうして無事過ごしていますので、安心してくださいね。
お供え物を整えて、心から手を合わせてご先祖様に報告をして、安堵してお浄土に帰っていただくそんな日です。
地方によって異なることもありますが、8月13日から15日くらい(旧暦の7月15日くらい)が一般的にはお盆と言われています。
お盆にご先祖様がお帰りになるわけ
お盆にご先祖様がお帰りになるのは、子孫の無事を確かめたい。それが何よりの思いではないでしょうか。
仏さんの教えでは、お浄土というところがある場所が、十万億土というとてつもない長い道のりのところにあるとか。
遙かに遠い世界にお住みになっているのですよね。
家族のことを心配しない親はないように、ご先祖様も案じておられるのです。
たとえば、ふるさとで孫の帰りを待つおじいちゃんやおばあちゃんのあの姿を思い出してださい。
それはご先祖様の姿と重なるところがあると思うのです。
孫はたまらなく可愛い。孫さんを見ているおじいちゃん・おばあちゃんの何とも言えない表情、優しさにあふれていますよね。
そんな思いでご先祖様もお盆にお帰りになられます。
お盆に飾るナスやキュウリの意味は?
お供え物の横に必ず置くのが、ナスで作った牛やキュウリで作った馬が供えてありますね。
キュウリで作った馬は、一時でも早くこの馬に乗って帰ってきてください、そして帰る時はこの牛に乗ってボチボチとゆっくり帰ってくださいを意味します。
魂になられたとは言え、そこに魂となられた方と少しでも一緒にいたいという思いがこめられている…そんな気がしますよね。
日本人の細やかさではないかと、そんなふうに感じています。
お盆の起源や由来って何なの?それは1つの物語から…
お盆の起源は何?
お盆は正式には盂蘭盆会(ウラボンエ)と言われています。
お盆はインドが起源とされています。
盂蘭盆会(ウラボンエ)とは、インドのサンスクリット語にある言葉です。
盂蘭盆会(ウラボンエ)には逆さ吊りとか、非常な苦しみとかの意味があります。
お盆で逆さつりというのも、おかしな話に感じられますよね。
なぜ逆さ吊りとか非常な苦しみとかいわれるようになったのでしょうか。
お釈迦様のお弟子さんで、目連(モクレン)という方がおられます。
お盆の起源は、その目連とお母様にまつわる物語がかくされているのです。
いまからお盆の起源を説明するために、その物語について解説していきますね。
お盆の起源は目連の物語から…
目連は釈迦の十大弟子の一人です。
もちろん悟りを開かれていたと伝えられています。
さて、目連(モクレン)はどんな力だったのでしょうか?
そのうちの一つに数えられるもので、人が見ることのできないところを見る力だったのです。
その目連が亡くなったお母さんのことを見ると、焦熱地獄(ショウネツジゴク)のなかで餓鬼道(ガキドウ)に墜ちていたのです。
その時にお母さんは餓鬼道(ガキドウ)の逆さ吊りの責め苦にあっていたと伝えられているのです。
お母さんが逆さ吊りになっていたのが盂蘭盆会(ウラボンエ)の語源です。
母親は目連(モクレン)に水を一杯と懇願するのです。
わかりましたと、母を助けたい目連(モクレン)は水を差し出しますが、途中で煮えたぎり飲むことすらできません。
お腹も空いているだろうと、食事を勧めるのですがすべて火と化したと伝えられているのです。
あれほど可愛がってくれたあのやさしい母親が地獄のなかで、餓鬼(ガキ)になっている。
どれほどショック、悲しみ、嘆いても嘆ききれるものはなかったと思います。
目連の母が地獄!?原因は?
なぜ、母は地獄に墜ちたのかというと、そのわけは子供のときの目連(モクレン)にあったのです。
母親は目連(モクレン)が可愛いばかりに、盲目的になり他の人に施しもせず自分の息子のことのみを考えてしまったのです。
母の愛情が裏返しになってしまったのですよね。
そこで釈迦が教えてくれたこと
途方に暮れた目連(モクレン)は、どうしようもなくお釈迦様の前にひざまずくのです。
お釈迦様は静かに語られます。
「母親は盲目的になったばかりに地獄にいる。目連(モクレン)よ、お前が母親に代わって布施をしなさい。そうすれば母は地獄の苦しみから抜け出せるであろう」と。
また、この頃は(旧暦7月15日、現在の8月15日ごろ)雨期も収まり、お釈迦様のお弟子様たちが一堂に会する日でもありました。
目連(モクレン)は百味百果を整えまして、集まる方々すべての方に食べてもらうという布施行を盛大に催しました。
もちろんお釈迦様の弟子が中心であったかと思います。
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どうなったの?目連(モクレン)の母親
布施行を終えて、もう一度母に会いたいと不思議な力で母親を見るのです。
すると白い雲につつまれながら母親は何とも言えない笑顔で天上に昇って行かれたとか。
お釈迦様の教えと、目連(モクレン)の真心が通じたのでしょうね。
この物語からお盆の習慣が…
目連はこのことがあって、この供養を後世の人々にも残したいと、お釈迦様に申し出ます。
すると、お釈迦様が「同じように7月15日(旧暦)に供養すれば、多くの人が苦しみから救われるだろう」と言われました。
このことからお盆の習慣ができました。
もともと日本では先祖を神様として敬う信仰があったので、仏教が伝わってその日本古来の信仰と混じりあって、現在の盆の形になったと言われています。
ちなみに、母を救えた喜びを表すために、目連(モクレン)は歓喜の舞を舞われたといいます。
それが盆踊りの始まりになったという説もありますよ。
最後に
お盆の意味や起源について解説してきました。
私はお盆と言えば、先祖さんがお帰りになる日なんだと小さい頃から教えられてきました。
目連(モクレン)のお話を聞かせてもらう時、日頃から人に施すことの大切さを説いておられるのではないかと思います。
魂となって帰ってこられる人を通して、今のあなたは正しく生きているの?
人を粗末にしてないよね。粗末にしていたら、目連(モクレン)のお母様のように地獄が待っているよ。
そんな問いかけがあるように感じてしまうのは私だけでしょうか。
お盆という短い期間を通して、先祖様と向き合い自分に対して目を向ける時間ではと考えてしまいます。
皆さんはどうお考えになられますか。
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